私が幼児教室の仕事に就いたのは1980年頃でした。
麹町教室の開設は1964年ですから、私の就職時で既に十六年以上の指導歴を持つ教室なので、戦後の幼稚園。小学校受験事情も先代から学ぶことが可能でした。
幼児教室数に関しては、私が仕事に就いた頃は数えるほどでしたが、当時目立った教室はほとんど現存していませんし、カリスマ的個人教室もなかなか後継ぎの人材の難しさで、現存していたとしても知名度は過去のものとなっています。
ところで、私がアシスタント教師の修業時期や小学校受験主任時代を通じて、他の教室の指導法について信じがたいような話をよく耳にしたものです。
例えば、慶應幼稚舎受験専門教室として知られていた神奈川県の某教室は、厳しい指導で有名でしたが、「何度やってもできない子供には画鋲の上に座らせる」という体罰が日常化していることを退塾者からよく聞きました。
また、「母親が子供の頬やお尻を引っ叩く音が、指導終了後に響き渡るんです…呆れたのは、痕が残るからお顔は避けなさいね…と先生から言われるんですよ…」という授業見学型教室ならではの話も耳にしました。
現在でも、「授業終了後に外の通り等で似たような光景を見かけますよ…」という話を、見学型教室に通っていた方からお聞きすることがありますが、流石に教室内で行われるようなことはないでしょう。三十年以上前に教室自体が無くなりましたが当然ですね。
また、幼稚舎出身者に有名だったM会は二十年前頃から、噂を聞くことも稀になってしまいましたが、当時通会していた母親が、歳を重ねて祖母となっても実権を握る家庭の方だけが現在も通っているようで、祖母と妻(夫)の好みの狭間で板挟みになっている方からの相談を時々受けることがあります。
「レシピは当時と同じだけれどもシェフがいないんですよ、保護者層も薄まっているし‥」というわかりやすい表現をする出身の保護者がいましたが、類似例はよくあります…
M会は、年長になると週5回通うことが条件でした。加えて四週間に亘る軽井沢長期夏期合宿への参加が義務でした。幼稚舎合格の為に全て教室に託すわけですね。
*ただ、付近の別荘かホテルに宿泊している保護者の元に夜はお返しする半合宿型でした、後に場所を変えて三週間の完全宿泊制になりました。
幼稚舎一族か紹介者中心の特殊な教室でしたが、幼稚舎関係の親族が幹部にいるという噂や、合格のお礼はベンツ一台分なんて噂が絶えませんでした。まぁ、真相については口にチャックをしておきましょうか…小学校受験がポピュラーではなかった時代ならではの怪物的存在ですね。
part2に続く。
小学校受験がポピュラーではない頃の「慶應幼稚舎受験準備の鍛え方」part2
麹町慶進会 塾長 島村 美輝
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